院長ご挨拶

長岡 寛樹 Nagaoka Hiroki

「お大事に」ではなく、「お健やかに」への思い

IMG_7507.jpgくるみ堂長岡はり灸院のホームーページにご訪問頂きましてありがとうございます。はじめまして、院長の長岡寛樹です。              
10代の頃より、鍼灸の世界に身を投じて現在に至ります。日々治療に取り組みながら感ずる事は、「鍼灸」という治療術が、古の先人達が目の前の病苦に悩む人達を「救いたい」、「楽にしてさしあげたい」、と言う一念で、膨大な観察と治療実践を重ねた上に築かれた医術であると言う事です。その為には、治療家は常に患者さんと寄り添い、お身体の様子から息づかいに至るまで、心を傾けなくてはなりません。ご来院頂いた皆様には、一鍼ごと、もぐさ一捻りごとに、心を込めて施術を行っております。皆様が毎日の生活を、お身体に憂いなく、健やかに送って頂く為の治療でありたいと言う思いで、お帰りの際には「お大事に」ではなく「お健やかに」とお声をかけさせて頂いおります。
皆様のご来院をお待ち致しております。



モットー:「滑足無限」
好きな物:「石」「漢字」「古本」
出現ポイント:「雑貨屋さん」「お蕎麦屋さん」





院長来歴

昭和50年 11月28日生まれ
平成9年  4月25日 はり師きゅう師免許取得  
平成10年 明治鍼灸大学卒(現明治国際医療大学)
平成12年 明治鍼灸大学附属病院外科研修修了
平成14年 本田鍼灸院にて2年間、本田維宏氏に師事
平成16年 往診を経て、横浜市にて「はり灸恵樹堂」開院
平成23年 長野県東御市滋野にて「くるみ堂長岡はり灸院」を開院

東洋はり医学会 会員
        指導理事
        会計部長
日本不妊カウンセリング学会 会員
日本小児保健協会 会員


主な活動
平成18年より東洋はり医学会主催学生講習会の指導講師として任にあたる。
平成22年12月 東洋はり医学会大阪支部 大阪出講
平成23年10月 東洋はり医学会海外支部 オランダ・ハーグ出講
平成24年9月 東洋はり医学会札幌支部 札幌出講
平成24年10月 東洋はり医学会海外支部 アメリカ・オーランド出講
平成26年10月 東洋はり医学会海外支部 オーストラリア・メルボルン出講
平成28年9月 東洋はり医学会九州合同支部会 博多出講




院長よもやま話

鍼灸師を目指すきっかけとなった高校時代

スキャン 1.jpegどんなに食べても太ることなど知らなかった頃.....高校時代は陸上部でした。当時は、長距離選手として5000mや3000m障害などを専門の種目としていました。目立った活躍はありませんでしたが、走る事は性にあっていたようで、今でもジョギングはライフワークにもなっています。
そんな僕が高校2年生の頃に、膝を痛めてしまい、2ヶ月近く走る事ができない時期がありました。タイミング悪く、折しも高校の体育の授業がマラソンで、一番得意分野の授業はずが、その時間をまるまる見学するハメに・・・・。その代償として、体育の先生からはドッシリとレポートの提出を課されることとなり、「自分が負った怪我とそのケアという内容」でレポートに取り組む事となりました。今思えば、このレポートを手掛けた事が、身体のケアに対する興味を持ち始めたきっかけになった様な気がします。

高校3年生になった時、同じ陸上部の友人が大きな大会へと進む事になり、独学でマッサージなどを勉強していた僕は、彼の身体のコンディションを整えるお手伝いをさせてもらえる事になりました。その時の経験が、「人の健康に携わる仕事をしたい」という明確なビジョンとなって、将来の進路を決定づける事になりました。

おぼろげながら将来の希望が見えた所で、では具体的にどんな職業へ歩むべきかを悩んでいた頃。たまたま高校の進路相談室で、友人と共に学校の案内を何気なく眺めていると、その友人が「変な名前の学校がある」と教えてくれたのが、当時、日本国内に一つしかなかった明治鍼灸大学(現明治国際医療大学)だったのです。
その時まで、鍼灸治療を一度も受けた事はありませんでしたが、「鍼灸」という言葉の響きがいつまでも頭の中に残っていました。その時の友人とのたわいもないやり取りがきっかけとなって、翌春には友人曰く「変な名前の大学」の門をくぐる事になろうとは思いもよりませんでした。


大学時代・研修生時代の想い出

スキャン.jpeg下宿の同期と入学式の一コマ大学が位置していた場所は、京都府内でも丹波の山奥と言う立地で、キャンパスライフと言っても、ほとんど下宿と大学を行き来する以外、他に遊びに行ける様な所はありませんでした。大学では、一年次から東洋医学、経穴(つぼ)に関する授業はもちろん、解剖学や生理学と言った基礎医学系の授業まで、みっちりとカリキュラムが目白押し。加えて実習では、お灸を据えたり、鍼を刺したりと、今まで見た事も触った事もない鍼やお灸を前に、最初の内は何をするにも緊張で手が震えてしまいました。IMG_0009.jpg風呂、トイレ、台所共有の大学一の格安下宿。個性的なキャラクターに囲まれた楽しい下宿生活でした。それでも毎晩、下宿の友人と鍼やお灸の練習をして、お互いに痛い思いや熱い思いをしたり、させたり。。。下宿の仲間と過ごした時間で、随分と臨床度胸や技術を養う事ができたのだと思います。











高校時代と同様、大学でも陸上部に所属しました。入部した当初は、新入部員が僕だけしかおらず、その僕を含めても5人しかいない廃部寸前の状態でしたが、尊敬スキャン.jpegお世話になった先輩とともに参加した北海道マラソン。する先輩方にも恵まれ、陸上の練習では、クロスカントリーと称して丹波の山中を駆け回っているような充実した毎日でした。(今でも山道を見ると走りたい衝動に駆られるのはその頃の名残なのかも知れません。)競技者としても優れた先輩には、練習に取り組む姿勢や考え方など、沢山の事を学ばせて頂きました。そうした事一つ一つが、日々、治療に取り組む心構えにも通じる経験となっています。
スキャン 2.jpeg大学4年生、最後の試合にて。下宿の後輩が応援に駆け付けてくれました。















大学卒業後は、大学付属病院の卒後研修生として2年間在籍しました。一年目は内科、外科、整形外科、麻酔科、脳外科、歯科、泌尿器科、リハビリ科、眼科、耳鼻科と言った各診療科を回り、実際の臨床現場で高度な医学知識を学びながら、訪れる患者さんの鍼灸治療を担当させて頂くことで治療技術の研鑽にも励みました。二年目には、外科に籍を置き、主に術後疼痛の患者さんや、抗がん剤の副作用の緩和を目的とした鍼灸治療に取り組んでおりました。手術を受けた方の術後の経過を良くし、少しでも早く日常生活を取り戻す為の助けとして、鍼灸治療がその役割を担えるものであることを強く実感致しました。
スキャン 5.jpeg外科教室の先生方と。














横浜での開業を経て

卒後研修生を修了後は、静岡や東京の治療院で働く傍ら、国内外で有数の経絡治療の勉強会でもある「東洋はり医学会」に通って、さらに臨床技術を磨く日々を過ごしておりました。そして幸運にも本田鍼灸院の本田維宏先生にご縁を頂き、2年間住み込みで師事させて頂きました。この2年間は、鍼灸治療の効果や可能性を改めて実感する貴重な経験となりました。その後往診を経て、平成16年に横浜市神奈川区三ツ沢下町に「はり灸恵樹堂」を開院致しました。スキャン 7.jpeg横浜・反町で開院していた治療院。バス停「三ツ沢下町」目の前にありました。
その間、東洋はり医学会渋谷支部長を勤め、その後は東洋はり医学会の指導理事となり、国内や海外での出講を通して、鍼灸治療の普及、啓蒙活動にも従事しております。

平成23年11月より、実家のある長野県東御市に活動の拠点を移し、「くるみ堂長岡はり灸院」を開院する運びとなり、現在に至ります。

振り返ってみると、これまで僕は本当に多くの方の出逢いに恵まれ、治療家としての道を歩んで来ることができました。
自分の恵まれた出逢いによって培われている治療術が、当院にご来院頂いた皆様にとっても、「当院に出逢えて良かった!」と思って頂けたなら嬉しいです。

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